[HOME] [新着情報] [目次] [講座シロクマ] [シロクマinチャーチル] [フォトギャラリー] [玉手箱] [素材] [掲示板]  

地球と太陽のささやき、オーロラ

写真撮影(その四)
―シロクマ対策は最優先…
事故が起これば、撮影は中止―

日本からチャーチルへ来るには、ウイニペッグで一泊するから、二日がかりで、二人のオーロラ撮影班が日本からきた。

彼らはオーロラ撮影用に試作されたカメラのテストのため、一度日本に帰っていたのだ。日本では,冷蔵庫の中でカメラテストをし,寒いチャーチルでの撮影に備えたと言う。これで彼らは、チャーチルへは二回きたことになる。

歓迎の言葉は,"仮出所ご苦労様でした"と言うと, "シャバの空気は、おいしかったよ。やっぱり食べ物は寿司だね"と元気よく、チャーチルへ帰ってくる。まるで刑務所へ帰ってきたみたいな会話だ。しばらく日本に帰ってない撮影隊員にとっては,日本から帰ってきた二人がやけに輝いて見える。

彼らのいない間にも、撮影準備はすでに始められていたが,天気予報は、いつも「曇り、時々雪」で、昼間から雲も多くオーロラ撮影には絶望的な日が続いている。"まだ。日本へ帰国するまでには、あと一週間あるからね。オーロラ撮影チャンスあるよ"と慰めあう。

この時期,秋から冬へと天候が変わるため、年間でも天候の悪い日が続く。瞬間風速五十-メートル〜七十メートルの烈風が吹き荒れてもニュースにもならない。

"オーロラの撮影するのか?そりゃギャンブルだな"と地元の人たちも口をそろえる。"でもな。Hisa!いつもおまえの行くところには、幸運ついているからな!"と慰めなのか、"早くやめてしまえ"と言いたいのか意味深い声が飛んでくる。
こちらの答えは、いつ同じ"ありがとう、きっと成功するよ"と笑顔を持って、手を振ることにする。"それにしても、雲が多いな!゛

オーロラ撮影のための場所選びの中で,欠かせなかったのは、如何にシロクマから撮影隊を守れるかである。シロクマにとっては,単なる興味本位の行動であっても,体重400〜500キロのシロクマに遭遇すれば,人間はひとたまりもない、命にも関わってしまう。

この撮影場所が決まるまでには,もう一つ有力な候補地があった。それは町から一時間くらいでチャーチルの東の端にあるノーザン・スタディー・センターのさらに先にある。ここはどこを見渡してもツンドラ地帯で、灯りはまったく見られない。南に一本まっすぐ走っている道があるだけだ。行き止まりには湖が二つあるところで終わりになる。

このあたりには、米ソ冷戦が終わる直前(1989年)まで拡張工事がされていたロケット発射実験場の跡がある。そのため、飛行場の滑走路のように広いところが,いくつかある。今はもうキツネや雷鳥を見かけるくらいで、地元の人達からも忘れ去られようとしている。

"オーロラ撮影なら、灯りもないしいいだろう"と、地元の友人が案内してくれる。"ここの工事は、経済的には町にとっても期待していたのだがなー"と、こんな極北の町にも、世界政治の動きの影響が見える。"銃の免許を持っているガイドを二人は必要だな"と急に人集めの難しさを匂わせる。

2000年になってから,カナダでは銃の免許制度が変わり、大変難しくなった。そのため銃の正式な免許を持っていない人もいる。ましてや、極北では,免許があるかは重要視しない人もいる。しかし撮影隊が雇うには,重要なことである。

そしてこの時期,チャーチルでは大変な観光繁忙期である。B&Bの宿泊料金も、とてつもなく上がり、閑散期の三倍近くにもなる。こんな時、銃のライセンスを持ったガイド集めは難しい。シロクマの攻撃を避けるために、"運送用木製パレットを積もうかとか,3台の車で撮影班を囲んでシロクマから守ろうか"とか、考えをめぐらした。それも"安全のためには銃は、最低2丁はいるな"との忠告には、ついていきにくい話だ。銃を持つなどと言うことになると、日本人にはあまりにもなれない世界である。

(続く)

 

 


 

前のページへ戻る 目次ページへ戻る
 

(C)1997-2006,Hisa.