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しろくま,ホッキョクグマと歩く

−はじめてのことだらけの日々−

シロクマが犬を襲う(その二)

もちろん撃ったのは、クラッカーと呼ばれている空砲であって、最初からクマを殺すのが目的ではない。花火のように大きな音がするが、クマの近くで音が出るよう距離を計って撃つのはなかなか難しい。 風が強い日には、至難の業となる。"こいつ、クラッカー弾を撃たれたことがあるな!"ブライアンは吐き捨てるように怒鳴る。

誰 に向かって怒鳴っているのだ。ここにいるのは私だけじゃないか、こんな時には何と返事をすればいいのだろう。それも英語かフランス語で。驚くほどの記憶力をもつシロクマは、過去に空砲を撃たれた経験を覚えているのだろう。ブライアンは常に4種類の弾を持っている。クラッカー、小さなベアリングの弾が入っている散弾、先にゴムがついていて当たるとそれなりに痛そうなゴム弾、そして、戦争映画で見られるように人も倒せる殺傷力のある弾である。 "Hisa、実弾!" クラッカーではこのクマには効き目がないことがわかったブライアンは、急遽散弾を撃つことに決めたのだ。

" 弾をよこせ"と、ブライアンは手を伸ばしてくる。前座席の背もたれが高いため、後部座席の床に落ちた弾に手が届かない。思いっきりお尻を車の天井近くまであげ、ほとんど逆立ちになってしまっているため、頭が下になり血が頭に上ってくる。自分なりに役に立ちたいと必死にがんばるが、床に転がっている弾の種類は見ただけでは、区別がつかない。やっと手が届いた後部座席の床から、拾い上げた弾を弾ベルトごと渡す。ブライアンは、ベルトから3個の散弾を引き抜く時も、目は犬を襲っている白クマを睨んでいる。2発の弾を指の間に挟み、1発を銃に込めクマの近くに向かって発射する。パーン"。クラッカー弾の"ズドーン"とちがって乾いた音が響く。

石に当た った散弾からは小さな火花がパッと散るのが見える。"ビシッ"と散弾が岩にあたった音も聞こえてくる。写真集に見る白無垢の花嫁衣装のような白クマのイメージは、身を切るような冷たい烈風に吹き飛ばされて、ここにはない。ましてや、しぐさの可愛らしさなど、頭の中をかすめもしない。 何者をも寄せつけない極北の王者としての風格……長い間、巨大で美しいシロクマに魅せられて、この極北の地まで私を誘い出
した"想い"は、どこへ行ってしまったのだろう。目に見えるのは、大きなシャベルのような前足で、犬をたたき殺そうとしている憎きシロクマだけだ。なんとか犬を助けるために、私にできることは、シロクマを睨みつけることだけだ。襲われている犬を見つめるブライアンの横顔は、死の危機にさらされた我が子を見る親のそれだった。

床に転がっているカメラが見えるが、こんなとき写真などを撮っていたら、ブライアンが可哀想すぎる。プロのカメラマンなら、迫真のこの場面を見逃すわけがない。シャッターを切れない私は、やはり素人写真家なんだ。まあ、それもいいや! これも生き方だ!と、非情になれない自分に納得していた。アッという間に、自分が大自然のどまん中に放りこまれているのだと感じた。散弾銃のパーンという発射音、ビシッと岩に当たる音は、この白クマにとって今まで聞いたことのない恐怖になった。

真っ 白な大きなお尻を大きく波打たせながら、逃げ出したではないか。"やった!" 思わずブライアンと握手する。ブライアンは他のシロクマが近くにいないかを確認してから、襲われていたエスキモー犬に近づいて、頬ずりをする。まるで迷子になったわが子に再会できた親のように。まわりにいる犬たちは、何事もなかったように、かまってもらいたくて尾を振りながら大きな声を上げて吼えている。家族のないブライアンにとって、最も大切なのは、ここ数年のドッグショーで常に優勝を飾っているこのカナディアン・エスキモー犬なのだろう。

車に戻るなり、"Hisa、コーヒーあるかい?" 私の心臓は、まだドッキン、ドッキンと張り裂けそうに弾んでいるのに、まるですべてを忘れてしまったように、いつもの明るいブライアンに戻っている。チーズをはさんだ食パンはこの騒動でぼろぼろになり、食べると、膝の上はパン屑だらけになってしまう。それでも今は、どんなご馳走にも勝る。魔法瓶に入っているコーヒーはまだ熱く、いつものおやつ時間がはじまる。

"シロクマが犬に向かっているのが、見えなかっただろう?"と、ブライアンは、私の痛いところを突く。まだ、彼を紹介されたばかりの頃、彼が最初に言ったのは、"町から出たら Watch me! だよ(俺を、見ていてくれよ!)、I will watch you!(俺は、お前を見ているからな!)、それが掟だよ。俺を視界のまん中に置かなくてもいいのだよ、どこかに置けば。俺は、Hisaを視界のどこかに置くからな。そうしたら、2人で360度警戒できる"。 東京では、信号さえ守っていれば、交通事故にも遭わない。自分の時計をしっかり見ていれば、電車や飛行機にも乗り遅れることもない。

こ こでは、見渡す限りの大自然の中に相手や自分を置いて見渡さないと、いつ何時、死に関わる危険に遭遇するかもしれない。写真を撮るのに夢中になっていた私には、カメラのファインダーからレンズを通して見る世界だけしかなかったのだ。その視界は、驚くほど小さいものだ。ましてや、シロクマなど生きものの写真を撮っているときは、他のシロクマの動きはまったくといっていいくらい見えない。自分がどこにいるのもわからないといったほうが正しい。いつ現れるかも知れない野生動物も、ファインダーの中だけでは見過ごしてしまう。目まぐるしく変わる極北の天気を、キャッチすることもできない。頭でわかっていることでも、行動をするということの難しさを 学ぶ。

コーヒーの時間、ブライアンの話はいつも野生動物のことか、女の人にモテたという昔話だ。時々、昔と今がまぜこぜになるのが面白い。大地は凍りついているが、風もなく、空は晴れわたり、陽が沈むにはまだ早く、今までの緊張のかけらすら感じさせない。東京からは、2日あればチャーチルに来ることができる。しかし、緊張から開放された私にとって、今のチャーチルは、たとえようもなくかけ離れた時空間であるように感じられる。まだここでの物語は、はじまったばかりだというのに。

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(C)1997-2006,Hisa.