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シロクマ(ホッキョクグマ)が歩く街で、面接試験

勤務していた米国の会社で、新卒の入社試験委員長をしたことがある。
2000名近くの学生が応募してくれて、試験官も一生懸命だったが、応募した学生
達も気の毒なほど緊張していたのを思い出す。

チャーチルのタウンセンターは、保育園から始まって、小、中、高等がある。しかし、高校を卒業するまでにいたる生徒は必ずしも多くない。それに町役場や病院。図書館、アイスホッケー場など町の機能が全てある。この辺ぴな町にしては驚くほど立派な設備ばかりである。冬寒いとき電線が切れることがある。そうなると暖房がきかなくなるため、ここに人が避難して集まってくる。

ここの病院は、カナダの北西側にあるヌナブットにすむ先住民族達の病院でもある。
そのためお産に来る先住民族のイヌイットやインディアンの姿をよく見かける。大きな手術などは、隣のトンプソンかウイニペッグまで行かなくてはならない。隣の駅トンプソンと言っても、汽車で12時間はかかる。

従業員食堂は、町の住人かタウンセンターの従業員で占められ、よそ者にとっては少
し居心地が悪い。学校の先生らしい人、聴診器を首に掛けた医者、看護婦、学校の子供達が次から次へと食事に来る。"やあ!ジョン"、"マリー"、"アン"、"チャーリー
"、"マイク"
と顔を合わせるごとに、声を掛け合っている。この小さな町では、みんな知り合いなのだ。遠来の旅人など、ここでは誰一人声を掛けてくれない。
前の人の見よう見まねで食事の注文の方法をする。アイスティー、簡単なシチュー、サラダやパンを一皿に載せてテーブルへ自分で運んでくる。目の置き場もなく、窓の外に見えるハドソン湾の波を見たり、壁に掛かっているシロクマの毛皮を目的もなく何度も何度も見つめる。

そこへ"ドスン!ドスン!"とゴム長靴の音を立てながら男が現れる。
この町では、大男ではないが、カールした金髪を長く伸ばし、革製のバンダナで髪を束ねている。おまけに髭ずらの顔立ちは、日本で一緒に歩いたら目立ちすぎるだろう。ゴム引きの胸当てのついたズボン、それに着古したセーターを着ている。なるほどユニークとしか言いようがない。いや変人だ。

"あの〜。あなたは、ブライアンさんですか?申し遅れましたが、私、Hisaです。レストランのコックから紹介されたのですが・・・・・"
近視の人が目を細めて見るように、頭の天辺から履いている靴の先まで見つめる。"
フン"
と言って、食事をお盆にとりに行く。それから私が座っているテーブルにきて、黙々と食べ始める。

"俺、ブライアン"と一言、また黙々と食事を口に運ぶ。食事しながらも時々こちらを伺うように見る。
まさに面接試験が始まったようだ。会社勤めで、学生の採用委員長をしていた時のことが思い出される。勿論、今はこちらが、試験される側だ。 "私、日本から来ました"そんなこと、既にコックから聞いていたはずだ。

極北の変人は、トマトジュースの缶を振ってから飲みながら"ウーン"とうなずく。"毎日、バギー・カーに乗って、シロクマの写真撮ったんだけど。極北にいる感じがしないのです。町の外も歩いたこともないし、五感を働かして写真を撮っているわけでもないのです"と、すっかり練習した笑顔も忘れて説明する。笑顔を、しっかりと練習したはずなのに。いざとなると人間は忘れるのも早い、時にはだから人間長くやっていられるのかもしれない。

"今、東京は、朝の二時です。温度は、二五度位です。日本円はいくらです。私の家
は、都心から四十分です。"
まるで数学の試験のような会話ばかりだ。
すでに乗りかかった船だ。こちらもそう簡単には、引き下がれない。
国際金融マンのころは,仕事柄大勢の人の前で話すことも多くあったが,人は大勢いるとむしろ調子が出た。しかし今は,何を話したのか、何を聞かれたのかあまり記憶はない。ただあまり昼食が食べられなかったことだけはよく覚えている。

"名前は、Hisaと言ったな。明日のの予定は?"と聞く。すかさず、"予定は、何もありませんよ。あなたに会うために、予約してあったタンドラ・バギーにも乗らないことにしています"
食事が終わると、"Hisa。俺は、明日の朝、飼っている犬にエサをやりに行くが、着いてくるか?"
"勿論だよ、ブライアン。何も予定ないもの。カメラ持っていってもいいですか?"と言い返す。
"どこのホテルに泊まっているのだ?"と早足で仕事に戻るために、タウンセンターから外に出ようとする。思ったより清潔感のするタウンセンターの廊下を歩きながら聞いてくる。

"アンの経営しているB&Bですが。解りますか?""解る。朝九時にアンのB&Bへいくよ。ブリザードだったら、行くか解らないけど"と言いながら"ドスン、ドスン"と長靴の音を立てて早足に消えてしまう。

エスキモー犬を飼っている変人が、シロクマ研究家やプロの写真家の間で、世界的な有名人であることを、その時はまだ知らなかった。彼こそが、シロクマや極北の大自然への扉を開けて、極北の大地に銃を持って、五感を駆使して、私と一緒に歩いてくれる人になるなどとは、もちろん思いもよらなかった。

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(C)1997-2006,Hisa.