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犬ぞりで、ハドソン湾を走る(その五)走れ!走れ!ハドソン湾を突っ走れ!

"走れ!走れ!それ行け!(Go! Go! Let's Go!)"
"いいぞ!いいぞ!その調子だ!(Good! Good! Good Boys!)"

ブライアンのかん高い声が、犬ぞりを曳く八頭のカナディアン・エスキモー犬たちにとぶ・・・・・・

    *

"Hisa!行くぞ!"ランナーの最後尾には、左右に掴まって乗っていることが出来 る長い柄が立っている。これを走って押すのだ。ところどころには、氷河期には重い氷に押さえつけられていた岩が見える。それは重い氷河も溶けて、顔を出した岩だ。 雪があまりついていない海岸沿いのがら場を五分もそりを走って押すと、すぐにハドソン湾に到着する。
"Hisa!そりに飛び乗れ!"そしてブライアンは、 "走れ!走れ!Go!Go!いいぞ!いいぞ!それ行けLet's Go"とかん高い声を犬たちに送る。

昨日まで数日は、雪や強風であったが、今日は寒さこそ厳しいが、風もなく太陽までも我々に微笑んでいるようだ。空には雲一つなく真っ青。まさに、犬ぞりの訓練には 、おあつらえ向きの日和となった。ブライアンが犬を飼っている場所からは、北へ直線距離では100メートルも走れば、そこは米国のテキサス州がすっぽり入ってしま う巨大なハドソン湾が口を開けている。更に北へ行ったらそこは北極点だ。海岸線から、東を見ても、西を見ても、北極点まで続く北に目をやっても、そこは真っ白に凍 りついた海が、地平線の青く晴れ上がった空まで続いている。

4月と言っても、この時期では、流氷見物と言う言葉は、チャーチルにはない。まだ、何もかもコチコチに凍りついているからだ。強い風が吹けば、晴れていても地吹雪になって、雪が濁流の ように渦巻いて流れる。氷点下15度以下でも、ここではニュースにもならない。東京では、今頃は、櫻も満開で、お花見の宴会が真っ盛りだろう・・・。 セーターの上に、厚い羽毛入りのパーカー羽織っている。下は厚手の下着の上には、トレーナーパンツ、そして胸当てのついたスノーモービル用パンツを履く。足には、 二枚の靴下と氷点下70度でも耐えられる厚いブーツを履いている。手は、毛のミトンの上から肘までカバーできる革製のオーバーミトンを使う。帽子は、暖かいビーバ ー製である。パーカーのフードの周りにについている毛が、風に心地よくなびいている。

 

犬ぞりは、先頭を走るリーダー犬を除いて、2頭ずつ一列につなぐ隊列である。"Go!Go! Let's go!""Good! Good! Goodboys!"ブライアンの鋭い声が、犬ゾリをひく9頭の雄のカナディアン・エスキモー犬にとぶ。少し走った頃、ブライアンが "HISA!コーヒーを飲もう"と、いつもの調子で言う。こちらはコーヒーどころではない。ソリはすでに凍りついたハドソン湾の沖まで来て、もどるには大変な距離となっ てしまった。

氷は厚く張っているとわかっていても、慣れない者にとっては、まったく落ち着かない。海氷の上を走るそりは、ゴトゴトと、ときには氷のかたまりにぶつ かり、ゴトン、ゴトンいう不規則な音をたてる。この一帯の海氷は、川などから凍りやすい真水が入っているので、所々に大きな氷のかたまりも立ちはだかっている。い つ大きな衝撃でそりがひっくり返るかと心配もつのる。犬たちは、小便や大便をするときも走りつづける。そりが風に向かって走るときに、大便をされると、匂いもシッ カリとする。とくに他に匂いもない大氷原では、強烈な匂いである。少しおこぼれが風とともにソリのほうにも飛んでくるのかと、気にもなる。

この犬ゾリは、ブライアンが数年前に3台作ったうちの1台である。しかし作り方やそのスタイルは、何千年前からイヌイットなど極北の民が、狩猟や移動に使ったソリと同じである。まさに太 古そのままの物である。使った板は、船を作るときに使う板で、丈夫で水にも強い。勿論、電子装置などどこを見ても見あたらないし、ボルトなどの金属部品も、ほんの わずかしか使っていない。まるで木琴のような作りでもあるため、そりには弾力性があって、走っているとき、ソリ全体が曲がったり、凹凸のある雪原を走っていても、 衝撃を吸収する。その乗り心地は、思う以上になめらかである。この単純明快な作りゆえに、設計図などなくても、その作り方が今日まで受け継がれたのだろう。

隣人のソリまで作るブライアンは、優秀なソリの建造者でもある。ソリの上には、寒さ除けと、居心地を良くするためカリブーの皮が心地よい。これは、荒れ狂うブリザードに あっても、寒さから身を守ってくれる。

 

"Yuk! Yuk!(左へ進路を変えろ!)""Good! Goodboys!" "Gee !Gee!(右へ進路を変えろ!)"よほどのことがなければ、犬に方向の変更を指示することはない。犬たちは、太陽を見ているのか、それとも磁石のように方向を察知できるシステムをもって いるのか、とにかく一度方向を指示するとその方向にほとんどまっすぐ走る。凍った海の上といっても、人の背の高さもある大きな氷のかたまりもあるし、平らとはとて もいえない。しかし犬は見事に、それら障害物を避けて、そして一時的に方向が変わっても、すぐに本来の進行方向にもどる。

"Hisa!リーダー犬と2列目でソリを引いている2頭を見ろ"と、先頭を走る3頭を指さす。時には、観光客に頼まれて、人 をそりに乗せることがあるというので、説明もなかなか感心する。"2頭が、リーダー犬のすることを学んでいるのがわかるか?" "ほら、リーダーが尾をさげただろ"とブライアンの説明が続く。なんと次に走っている2頭は、リーダーに従って尾を下げるではないか。一生懸命まねているのだ。

リーダ犬が、尾を上げると、他の犬はそれをまねる。そりの方向を変えるときには、ブライアンはリーダー犬に声をかけ、次の2頭はリーダーをまね、次から次へとあとの6頭もそれをまねていくのだ。 "1匹が吠えると、残りの犬がコーラスをはじめるだろう。ソリを引くときも、同じようにまねているのだ"と、私の極北の先生は、力強く賢い犬たちを、目を細めて見ながら言う。

3列目の犬が、大便か何かの理由で少し遅れたときだ、2列目の1頭が遅れた犬に吠えかかり、しっかり走れと指示する。よく言われる――犬ゾリ用の犬は鞭で打つ、とき には鞭が犬に当たって、血も出る。犬たちは鞭の痛さに、悲鳴をあげて全力で走る――そんなことはまったくない。ブライアンは、鞭すら持っていない。犬の種類や場所 がちがうのか、あるいは人の心や言葉を経て伝えられるために、ねじ曲げられて理解されてしまっているのか、ともあれ、あまりのちがいに戸惑ってしまう。

純血カナディアン・エスキモー犬は、世界に350頭くらいしかいない稀少犬種であるし、切手やコインにもなっている、カナダ極北のシンボルがシロクマなら、カナディアンエスキ モー犬は、極北のイメージだ。そのうちの9頭の犬が引くそりに引かれて走っている。もう傍観者ではない。凍てついて、静寂さをも感じる大自然のまんなかを、走って いるのだ。こんな贅沢なことがあるだろうか。

"Hisa!コーヒーにしよう""ブライアン!OKさ!ベーコンもクッキーもある ぞ"

(犬ぞりで、ハドソン湾を走る。完)

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