しろくまが、歩く町、チャーチルの人達
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しろくま、ホッキョクグマが歩く町、チャーチルの人達
(その四) 
チャーチル(Churchill)の先住民は、地底からの旅人。地底人だ!

極北の地、チャーチルでは、夏の過ぎるのはあっと言う間だ。9月になれば、夏の思い出は遠くなってしまう。このころになると、風が無くても、夕がたの寒さは肌を刺す。町の北側に横たわるハドソン湾もすぐに氷が張りはじめるだろう。一万年も前には、その厚さも何キロメートルもあった氷河は今はない。氷河が消えたあとには、黒い岩が顔を見せ海岸線を埋めている。岩の上で、遠い古代への思いは、簡単には終わりそうもない。

ただ、こんな異境で、チャーチル生まれのブライアンと話していることだけでも、その不思議さの大きいことに驚きを感じる。

"ここの先住民は、地面の割れ目からでてきたのだぞ"とブライアンは言い始める。"始まったぞ、また私を混乱させるのか。それじゃここの先住民は「地底人」ということになるではないか"とブライアンの目を見る。

"答えは聞くな、自分で考えろ!"とでも言いたげに遠くを眺めている。

いつもならブライアンに,"なぜ?ほんと?信じられない、それで?゛と連発して聞く。ブライアンが答えてくれなければ、それじゃあと誰彼となく聞き回る。だが今は、ブライアンの態度は,極北のこと何もかも教えてもらおうと、安易に考えている私への警告なのかもしれない。

ほんとうは"Hisa、お前がチャーチルに来はじめてから、5年にもなるじゃないか"と言われている気になる。"感覚を研ぎ澄まして、ここに何が隠されてしまっているかを考えろ。鼻も,耳も使え!Hisa!たくさん教えたろ。いいな!!"と言おうとしているのかもしれない。

     *

人類の起源がアフリカなら、チャーチルに住む先住民も、アフリカからやってきたことになる。日本人と同じ先祖であるモンゴロイドの一派だが、アラスカ経由でアメリカ大陸へ渡ってきたのだから、彼等のルーツは日本人の自分と同じだ。日本からはこんなに遠く離れているのに。

長い間,アメリカ大陸は、コロンブスが最初に発見したものと信じてきたけれど、一万年以上前に、すでにモンゴロイドが渡ってきていたのだ。過酷な気象条件のもとで、狩猟をしていた先住民は、自然との霊的関係を知り尽くしていた。その自然との霊的関係こそが、大自然の中に生きる知恵なのだ。これら知恵を知ることがなければ,シロクマのこともチャーチルのことも本当に理解したことにはならないのだろう。

シロクマに魅せられてチャーチルまで来た自分が、遠い昔から住んでいる先住民と不思議な繋がりがあることに、あらためて驚かされる。

チャーチルの人達も理由は違っても,シロクマを追いかけてきたのかもしれない。そんなことを考えると、ますますもってチャーチルに住む人達について知りたくなる。。

いつまでたっても、"シロクマに魅せられたのは、大きいもの好きだから、白い色が好きだから"と言っていたのでは、単なる物見遊山で終わってしまうのだろう。置き忘れそうになっていた人生の宿題、野生動物カメラマンへの気持ちは、いつしか考古学や民俗学の本を、本棚に目立って並べるようになった。

 そもそもチャーチルの人達は,どうやってここまで来たのだろうか。そして日本人との関係はなんであろうか。ここの先住民達と日本人との間に何らかの共通点があると思えば、明らかにしてやろうとする気持ちでワクワクとしてくる。


途方もない時間、それは何千年、何万年、何十万年と言う時間枠の中で、地球の気候は変動していた。いまより寒い氷期と今より温暖な間氷期とが交互にくりかえしていた。氷期には海の水が氷になるので、海水面が低くなり、大陸と大陸は陸続きの時もあった。2万年ほど前には最後の氷期が終わりだんだん気温が上昇し、6000年ほど前には、いまより2度ほど平均気温が高い時もあった。わずかそれだけ気温が上昇しても、氷がとけて海水面は高くなる。

陸でも気温が低い時(氷期)には、氷河は厚くなり、あらゆるものを埋め尽くしながら、南下し広がり、氷河は,カナダ全部を飲み込んでいた時もあった。アメリカとカナダの間にまたがる海のように大きな五大湖もそのときの名残である。その時は動物や植物は、暖かい地方へ移動した。

温暖化が始まると、氷が溶けて、動植物が北上する。それを追って、肉食動物も北へ移動をした。中には消えてしまった植物や動物も数少なくない。

最近では、700万年前にアフリカで人類は、チンパンジーから分かれたと言われてる。この原人は150万年前になって始めて、人類はアフリカから離れた。アフリカを出発した人類は、寒さや暖かさとが途方もない時間とともに、変化する中で、移動した。そして行き先で適合しながら、移動をした。中には、そこに留まるグループも現れたに違いない。でも、何らかの理由で、ネアンダール人のように消えた仲間もいた。

とどまると言うことは、環境に適応した生活をしなければならない。そのために、身体、生活の仕組みをかえて身につけて行く。それに今までと違う文化をもつ必要もでてくる。何度となく寒暖の繰り返しがあったが、その都度人類は寒さを身につけなじんでいったと考えられる。

その後、2万5千年から1万4千年前の最後の氷期(最終氷期)には、人類は極地での生活、狩りの道具や衣食住まで全て、特異なスタイルで順応していった。その結果、人類も極地に住める条件が整ってきたのだろう。

 *

今,地球温暖化について、様々な懸念がされている。1970年にアメリカの地質学者が海水温の変化と海に住む有孔虫を研究した結果、不規則ながら温暖化から寒冷化に向かうには、9万年かかったが、温暖化には、その10分の1の時間しかかからないという。

それに、氷河が溶けることで、大陸には重しが減り、地殻がゆっくりながら盛り上がってくる。が問題は,海面の水位にありそうだ。

ベーリング海峡の海面の高さを、貝の種類や海中の土壌の質から研究した学者によれば、12万5千年前、今日と同程度に暖かかった時期には,海面の高さは今より15〜30メートルも高くなっていた。

近年、地球温暖化で、北極や南極の氷が溶けて海面の水位が上がる事が懸念され始めている。ただただ30メートルも上がらないことを祈る。願わくば、人類が地球の温度を上げているのではなく、地球という生き物がゆっくりと変化しているのだと信じたい。

その後、寒冷化し2万年くらい前には,水位は今より90メートル以上低下した。シベリアの太平洋側では, 100メートル余り水位が低下したと言われる。

寒冷化は1万5千年〜1万4千年前まで続いたと言われている。その時には、水位が下がっていたため、水をたたえているベーリング海峡はなく、アメリカ大陸とシベリア大陸の東端部の間には,陸続き(ベーリンジア陸橋)になっていた。

当時,シベリアまで進出していたモンゴロイドのグループの中に、ベーリンジア陸橋を歩いて、アラスカへ移動し他ものがいた。

現在のアラスカ海岸から,40メートルも100メートルもの深い位置にあった陸橋(ベーリンジアン陸橋)を歩いて渡ってくる人間は、まさに地面の割れ目から登ってくる”地底人"に見えたに違いない。

”やはり、チャーチルの先住民は、地底人だったのだ・・・・でもなぜ移動したのだろう???”


(続く)

 

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