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シロクマ紀行、2006年 表現者として、10年目
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New!! 二時間の人間ドキュメンタリー番組「「ホッキョクグマと暮らす極北の町チャーチル〜写真家・Hisaの絆」」放映2007年1月2日、午後9時から、BSジャパンで放映。 チャーチルは、カナダにあってカナダでない〜10年の挑戦。 グレン・グードル、「北(カナダ極北)には、謎めいたものがある。厳しい自然のなかで豊かな思想を熟成する。ごつごつした岩がみえる荒涼としたこの北の大地は、カナダにあってカナダではない」。 カナダのイメージは、誰もが美しい森と湖に囲まれた国と答えるだろう。実際は人を寄せ付けない厳しい面の方が多い。むろん誌に語られないような素晴らしい季節だってある。ても一口で言えるような代物ではない。要するに極北は謎だらけなの別世界だ。 チャーチルは、実に多くの物語を提供してくれた。ここには二つの時間が流れている。近代文明の時計と自然界の時計がそれぞれの時だ。 自然界に流れる時は、人間の存在の小ささと危うさを教えてくれる。しばしば予知能力を試される。感覚が研ぎ澄まされていないと、自然の猛威に対して無防備のまま立ち向かうことになる。祈りは自然のサイクルとの同調回路だ。人々は神々にひれ伏すほかない。物語は過去からの贈り物。謎は謎のままだってこともある。 今までの物語とこれからの物語りを、いかに熟成させ紡いで、それをいかに未来へと受け渡していくか。これがぼくの仕事であるに違いない。こんな謎だらけの世界を、どこから、どうして・・・・表現して行くのだろうか・・・その思いに胸躍る。 *
* チャーチルへ16回となると、よくも飽きもせずにと人に言われる。「なぜチャーチルなの」、「なぜシロクマなのか」と自問自答すると面白い。 いつも答は、「人生に置き忘れそうになっていた宿題」、「もう一人の自分探し」、「元気の素」、そして「当たり前の心」と答える事にしている。そして「あなた、もう一人の自分を探して見たくありませんか?」と聴くことにしている。すると「そんな事考えた事ないよ。だって明日の仕事もどうなるわからないのに」。「う〜ん、10年後何しているの、20年後は?光陰矢のごとしだよ。考えていないと」と自分に問いかけている。反省もこめてだ。 でもこの旅はくる度に、「進化する」からますます面白いと付け加える。 シロクマに関心をもつようになって13年になる。もっといえば少年時代からかもしれない。実際に来て見ると、単に興味を持っていただけでは、とても通用しないことと思い知らされた。それだけ謎が多くなり、知的好奇心がふくらんだともいえる。調べれば調べるほど、チャーチルについてもシロクマでさえも、本や大学などの研究室で発信する情報と違うことが分かってきた。それならシロクマの謎にせまってみよう。
全ては、最初の一歩から始まる。一歩を踏み出すためには勇気がいる。考えると悩むは大違いだ。考えることは、追いかけることだ。明日への勇気を獲得することだ。反対に悩むことは追いかけられることだ。過去との決別することもできず立ち止まるしかない。思い悩むだけで何もしないより、問題を先に考えて進むほうが楽だ。志は高くだ。極北に当たり前の心を知るたびに、もう一人の自分を発見したような気がする。
7月:命輝く夏(澄んだ海水、命がけの極アジサシの旅、何でも食べるシロクマ、ガンがいない等) 11月:会えない地球の余り風(干潮とブリザード)、飢えるシロクマ、家のいりくちには、クラッカー弾用拳銃など、チャーチルは、カナダ極北はカナダではない?10年ぶりの再会〜10年前、最初に知りあったスコット、ブライアンとウエインの激論とその原因、チャーチルで生きるイロハ・命がけ、当たり前の心、カメラレンズが大きすぎる、仲間と一緒、カリブーの心臓、ライチョウに舌なめずり)
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(C)1997-2006,Hisa.