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犬ぞりで、ハドソン湾を走る(その二)犬ぞりの犬は 犬のえさ!

"犬ぞりの犬は甘やかさない"。と話をすると、愛犬家である家族からもいつもきつい 視線を感じる。それが、"犬ぞりの訓練に行こう"と言う誘いに、"待ってました。や ったぞ!"と言うのが、どうしても"ウーン、ウン、ウン・・・・"となってしまうわ けだ。

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"ウーン、ウン、ウン・・・・"となるのは・・・・・。 

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今までに、冒険家とか探険家になろうなどと思ったこともない。しかしたくさんの極地探険の物語がある。その物語には、装備、資金調達の苦労、訓練、彼らの名誉欲、 好奇心や強い精神力と肉体の記録があった。勿論、彼らにとっては、自分探しの挑戦でもある。心に残る名前には、ジェームズ・クック(英国)、ロバート・ストック(英国)アー ネスト・シャクルトン(英国)、ロアール・アムンゼン(ノルウエー)、ジェームズ・ロス(英国)、アーネスト・シャクルトン(英国)、ロバート・ピアリー(米国) 、白瀬中尉(日本)、植村直巳(日本)などきりがない。

なかには、周囲の人達に迷惑を掛けた人もいるが、反面、過酷過ぎる体験は、人間の想像も超えている。でも、奇跡とも言える不屈の忍耐力、勇気、人間として大切な心 を教えられ、感動を隠せない。またビジネスマンとして、彼らの知性と大胆な勇気から多くの知恵をもらうこともあった。それは、「心打つ奇跡」とも言えよう。

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しかし極地探険の「心打つ奇跡」も犬なしには語れない。エンデュアランス号で行った南極横断探険隊の物語(1914年)は、私にとっては奇跡的に生き残った隊員の 勇気より、犬ぞりの犬たちの物語が、心に痛く残る。

乗っていた船が氷に押しつぶされ、氷の上に無事脱出した。やがて食料がなくなり犬を殺すことになる。漂流という状況の中でも、隊員たちと犬の間には、それなりの交流があったはずだし、犬たちも 隊員の愛情に答えていただろう。隊員は自分たちの犬を、少し離れた氷の山の向こうへつれていき、何も知らない犬を雪の上に座らせ銃で殺す。その時の犬を思う気持ち なのか死んだ犬を雪の中に隠してから、次の犬を迎えに行く。何も疑わない犬は、尾を振りながら、氷原の向こうへ跳ねてついていっただろう。

乗って漂流していた氷が割れ、とうとう小さなボートに乗り移らなければならなくなった時は、残った犬も殺さなければならない。犬をボートに乗せる余裕もないからだ。悲しさと無念のあまり だろう、隊員は吐き気すら感じながら、一頭ずつ氷の山の向こうへつれていき銃の引き金を引いた。子犬までも。全ての犬が殺された後、人が食べられるように解体され た。

南極探険(1903年)でスコットは、最初に南極点到達(1911年)に成功したアムンゼンの犬の数(116頭)を聞いて驚いている。それほどの数が多ければ、そ れらを少しずつ殺して犬のエサにする方法で極点までいけると考えた。実際にアムンゼン隊は、体力が落ちてそりを曳かなくなった犬を殺した。特に、極点到着まであと 4日と目安が立ったときには、犬のエサが節約できると考え、余分な犬は子犬も含めて全て殺した。

それは計画通りと言え、生かすに値するものと生け贄にする物との選択があっていいのだろうかと、心を締め付ける。隊員達は各自の犬も解体し、残った 犬たちのエサとして与えた。やがてその肉の一部は、隊員のお腹にスープやステーキとなって入ることにもなる。殺さないと決められた犬たちも疲れたり、エサ不足で衰 弱すれば、殺されて、他の犬のエサとなった。それは隊員の気に入りの犬であろうがなかろうがの違いはない。

得られる成果があっても、物事全て正当化するには、あまりにもむごすぎる。植村直巳の場合、北極へ旅たつ前の記者会見で、"ぐうたらな犬は大嫌い。よく働く 犬に食われられたほうがいいと思う・・・・"と話した。これは前回の北極圏単独旅行で20頭の犬を失ったことについての感想を聞かれた答えだった。それだけに、駐 日デンマーク大使から、デンマーク領グリーンランド縦断探険につれていく犬を無事連れ帰る条件をつけさせられた。

北極点初到着(1909年)したピアリーは、246頭の犬を持っていった。昔の探険家は犬も食糧計画にいれ、人間も犬を食べたという。気になる話は、まだまだある。やはり・・・"ウーン、ウン、ウン・・・・・・だ"・ ・・・・。

引用、参考資料:
『エンデュアランス号漂流』、アルフレッド・ランシング著、新潮社
『そして奇跡はおこった!』、ジェニファー・アームストロング著、評論社
『南極のスコット』、清水書院
『冒険物語百年』、武田文男、朝日文庫など
『南極点』、ロアール・アムンゼン著、朝日文庫

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