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チャーチルの夏、そこは命が輝くところ こうしてチャーチルでオオカミに出会った (8) (その八)オオカミ"ツンドラ"との会話〜アイコンタクト デジタルカメラのメモリーを取り替えて、"ツンドラ"の観察を続ける。 犬は吠えながら激しく尾を振ってうれしさを表す。”ツンドラ”の場合は長い尾を下げてゆっくりとゆらしているだけだ。服従の姿勢なのか、好意を持っている信号のようにも見える。 本来野性の世界では、もっと多様な方法でお互いを呼び交わしているはずなのに、どうしても人間の都合のいいように解釈してしまう。風の向き、大気の変化、動植物のにおい、磁場の流れを縦横に察知しているに違いない。 人間にとっては、もっと神秘的とも言えるほど分かりにくい世界と考えるべきなのかもしれない。それは現代人があまりにも野生の自然から離れた暮らし方をしているからだ。ときには、部分と全体との区別さえしないでいる。 こんなに科学が進んで人間にとって自然を制御できているはずなのに、心も病んでいる人はふえている。どこにボタンの掛け違いがあるのだろうか。野生の本能が衰えているためおこす間違えなのか。 * 言葉や文字がなかったなら、もっと野生と心を通じ合わせることができただろう。 ”ツンドラ”と仲良くしたい。瞳孔が小さく見える。その顔つきで受け入れられようとしていると思った。 色彩感覚は人間ほどではないかもしれないが、その代わり夜には光を反射させる層(タベータム)があり、人間の8倍の視力を発揮して、眼光は鋭さを増す。野生のひらめき。向き合っているうちに、すっかりオオカミの凶暴さなど消え去ってしまった。 距離は約20メートル、カメラの大きなレンズを動かしても、"ツンドラ”は、無邪気げにこちらを見つめているだけだ。攻撃的な素振りなどかけらもない。絨毯をしきつめたようにピンクのお花畑が続いている。立ち入り禁止の看板があるわけじゃなし、ともかくあたり一面ランの花盛りだ。花を踏まなければ、歩くこともできない。 レンズを通して”ツンドラ”が歩いているのが見える。こちらも余裕が出てきた。気温、16℃、夏真っ盛り。トラックを降りて写真を撮ろうか。 * 電車に乗って前の座席の人と視線が合うと、お互いに目を逸らす。見つめなおして視線が合ったりすると、なんともいえずバツが悪い。それがスポーツをしている場合だと、目をそらしたほうが負けだ。 ここでは、ツンドラは電車の前に座っている人と同じだ。目と目で対話しているかのようだ。 車のエンジンをかけてみる。耳がピクと後ろになびき、背中の毛が逆立つ。大きく見せることで威嚇しているのだろう。猫もそうだ。”いやなら、エンジンをとめようか"。やがて耳はもとにもどした。 ”よし、アイコンタクトができている”。目をそらしているのは、敵愾心がない証拠だ。 三角形の耳はレーダーのごとくぴくぴくと微妙な動きを見せる。もともとハンターである”ツンドラ”は、横に、ときには左右別々にして、極微なまでに耳を動かしている。獲物だろうがなんであろうが、周り全ての動きをとらえようとしているのだろう。 写真を撮るために車を動かしても、警戒する様子をしめさない。カメラの焦点をあわせるには、どうしても手を動かさなくてはならない。”ツンドラ”の視線が他へ移ったとき、大急ぎで焦点をあわせる。視線があったときには、”お前なんかには興味はないよ"と見て見ぬ振りをする。そしてカメラのシャッターだけは、しっかりと押す。 同じしぐさをすれば意思が伝わるようだ。 いつしか広大な永久凍土の真ん中で、ツンドラと言葉こそないが、お互いに顔を合わせながら、”一人ぼっちじゃないよな”と確信する。 野生動物とコミュニケーションをしている自分に気がつく。見渡す限り誰もいない大地で、私とオオカミだけが対峙している。
そして、”ツンドラ”はトラックの近くを横切り、視線をこちらにやりながら、犬たちのところへ向かいだした。注意深く耳を後ろに倒している。犬との距離は、10メートルもない。 鎖でつながれている犬たちがいる。大丈夫だろうか。ガイドのブライアンもいないし、銃も持っていないので何もしてやれない。犬たちは、一斉に吠え出した。(つづく)
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