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9月6日03年
チャーチルの夏、そこは命が輝くところ 〜最高のハンター・オオカミだ!!それも至近距離に!!〜 "ブライアン、もう一度でいいから、オオカミに会いたい。明日は一人で行きたいのだけど。危険はないかなあ?"と極北の達人に意見を求める。 "Hisa,いいかい。どんな動物でもその行動は、予測できないことがあるんだよ、そのつもりでな。小さなものでも、生存のためには向かってくることだってあるさ。それだけは覚えておいたほうがいい。歯のある動物なら小さなものでも、噛みつくのだ。鳥でも、ウサギでも、それに魚でもだよ。ペットもだぞ。人間が持つ野生動物の知識なんかは、ほんの一部なんだよ。常識と思っていることじたいが自惚れだよ。俺は、1年の365日、野生動物に会うことがあるけど、毎日が新しいことばかりなんだ。 Hisa!お前なら一人でも大丈夫だよ。朝、早いほうがオオカミは出没する可能性はある。明朝、4時頃に行けよ"とウインクする。 そうなんだ、どんな小さな生き物でも、いざとなれば牙をむくこともある。ビーバーだって、人に噛み付けば大怪我となるだろう。可愛いなんて言っていられない。 いつの間にか、経営論を聞かされているような気になる。それは”Hisa! ビジネスでも同じだろ。本に書いてあることや評論家の言葉を、丸呑みし、あたかも常識のように捉えて、仕事をする。それで利益にならないと反省する。それと、同じだぞ。本当の常識なのか、例外を捕らえて常識としているのか、考えろ!”と言われているような気になる。 そうだ。子育てと同じなんだ。常識も育てていく過程で、何が正しいかが分かるのだ。簡単に答えなんかあるものか。汗しなければ。 * 2日目、 8月になれば、日中、温度は上がって、一時だが25度くらいにもなる。しかし夜は10度以下になって、昼間のTシャーツ姿からセーターと手袋になる。夜の宿では暖房は欠かせない。 終日、何もない荒野でオオカミを待つ・・・何も起こらない。”まあ、いいさ。いい空気を吸って、極北に居ることを味わうだけでも、人生大成功さ"と慰める。 * 3日目、 本を持ち込み読む。2日前のことを素晴らしかったではないかと、勝手に満足に浸る。慰めとわかっていても。 4日目、朝、5時半だと、宿に朝食を頼むわけには行かない。そのため昨夜から用意したコーヒーを入れた魔法瓶、りんごジュース2本、バナナ1本、りんご2個、チーズ、クッキーをもって行くことにする。まる1日は大丈夫だろう。もちろんシロクマに出会った時のクマ除け用のベアガスと蚊よけの頭から被るネットも忘れない。 家のあたりは、深い霧のため暗い。出入り口のドアをあけるが何の音も聞こえない。せめて風でも吹けば、霧も吹き払われるだろうが、その風も今はない。 耳に聞こえるのは、遠くで鳴く犬の声だけだ。 トラックが、目的地に到着したのは6時すぎ。途中、誰一人会うことはない。左に見えるはずのハドソン湾も、地平線まで続く永久凍土の平原も見えない。深い霧の中に飲み込まれたままで、二度と現れないような気になる。 聞こえるのは、子育て中のガンの鳴き声だけだ。”クワッ、クワッ”と甲高い声の中ゆっくりとトラックを走らせる。朝の静けさに、安心しきったのか、道端にたくさんのガンが集まっている。その歩く姿は、霧の中では亡霊のようにみえる。 ブライアンは、どこかにオオカミがいると確信しているようだ。いつも、彼の予想の確立の高さには舌をまく。彼が間違えたとしたら、それは誰もが間違える。遠い地において信じきれる友がいることだけでも、心強い。 目的地の少し手前で、撮影の準備をする。車の助手席に、明るい2.8Fの200ミリ・ズーム・レンズと2.8Fの400ミリ・レンズをそれぞれデジタル・カメラボディに取り付けて並べる。予備の電池とコンパクト・フラッシュカード(記録メディア、フィルムの代わり)も手の届くところに置く。もう一度でいい、何とかオオカミの写真を撮りたい。気持ちの高ぶりが、準備を急かせる。昨日見たオオカミに会えることだけを信じながら。 早めに撮影準備をするのは、野生動物が目の前に現れてからでは遅すぎるからだ。十分に準備をしたからと言って、現れるとは限らない。現れるほうが奇跡に近い。シャッターチャンスとなっても、太陽の光が十分でなかったり、逆行だったりする。とかく人生とおなじで思うようにならない。 * * 風は向かい風、オオカミが匂いでも察知されることはない。数十メートルくらいゆっくりと走っては、トラックを止めて、あたりを見渡す。オオカミが確認できないと、また進む。まるで軍隊の歩伏前進のようだ。じりじりと近づいていく。 この2日間、オオカミに会えなくても通った自分が面白い。いろいろな理由をつけて慰めているが、とてもほめられたものではなさそうだ。笑えてくる。 霧が深いので、犬とオオカミの区別は到底つけられない。見たのは、グレーのような気もしたし、もっと赤茶のような気もした。それに大きさの感覚はつかんでいない。 いつもなら犬たちは、ひとしきり歓迎の一鳴きのあと、それぞれ座ったり、横になったりする。 ところが霧の中で。見える10頭以上の犬たちが、みな立って同じ方向を見ている。耳もみな同じ方向を向き、どんな音も聞き逃さない構えだ。
カナダ公園局の動物学者の言葉を思い出す。"オオカミはね、見たことがありますよ。でも神経質な野生動物なので、姿を見せてもほんの一瞬ですよ"だ、それに比べれば、今は自分の目でしっかりと見ているではないか。 距離だ、明るさとか言っていられない。この瞬間は二度とないかも知れない。”写真を撮れ!”
口は犬とは比べ物にならないほど、大きく裂けていて頑丈そうだ。 "キョトン"とした様子である。このオオカミは人間を知らないため、警戒心は持っていないのか、それとも犬たちを狙って現れたのだろうか。
コンパクトフラッシュを入れ替えて、オオカミに目をやるといつの間にか消えていた・・・・・・・まるで夢を見ていたように”ふっと”。 手品師に会ったようだ。 でも"オオカミの写真がとれた"と、大きな充実感が体中を駆け巡る。 思いっきり大きく吸い込んだ極北の空気は、体中に生気を蘇らせてくれた。4日間も何もいないところで待ち続けた自分に改めて感心する。チャーチルに、オオカミがいることは聞いていたが、それは私にとっては幻の世界と考え、期待もしていなかった。 それから三時間ほど、またオオカミが現れないかと待ったが、徒労に終わった。犬たちは、いままで何も起こらなかったように横になったり、寝たりしている。”今日は最高だ!明日も来よう”と、極北の冷たい空気を胸いっぱいにして楽しむ。 (つづく)
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(C)1997-2006,Hisa.